昨日、一昨日と九州地方で地震、何度も余震が続く。 被害も甚大で、自衛隊や救助隊の活動が続く。 病院でも、運ばれてくる被災者の手当てに懸命です。 総出で、事態に当たっている。 素晴らしい。 私は、この姿が、本来の当たり前の人間の姿だと思う。 いざとならないと動けない、助け合わないのではなく、 いざとならなくても、助け合う姿、これが素晴らしい。 何時から人間は、他人に対して無関心になったのか? 自分がこの人の立場、状況、状態だったとしたら、と 考えないのだろうか? 『注』私の助け合いの意味は、相互に教え合い、与え 合い、励まし合い、協力し合って何かを成し遂げる事 や、分かち合う事、作り上げる事。 本来、人間にはその素晴らしい考えがプログラミング されているはずだ。 人間はひとりでは生きていけないから、必然的に持ち つ持たれつの関係が出来る。 だから、他人に無関心な社会は、大切な何かを教え忘 れたか、教義を間違って教えたかどちらかだと思う。 『教義を間違って教えた事の方が有力』 いざとなった時の人の姿が、普段からのあるべき姿だ と思う。 いざとならないと忘れる、大切な教訓。 助け合い、当たり前だけど忘れている、人間の姿、本 来の姿です。 災害は、有って欲しくはないけれど、本来の姿を何時 |